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あなた 

2011.03.20 08:34

私は父が苦手だった。頑固で無口で自分にも周りにも本当に厳しい人だった。
門限は18時。バイトだって大学生になってももちろん許してくれなかった。社会貢献が口癖のような人だった。



私が父の病気を聞いたのは大学院1年の終わり、就活に苦戦している頃だった。そんな私を察してか、家族は私には黙っていようと決めたらしいが…父は自分から私に電話をしてきた。すべてを話してくれた。

脳腫瘍だった。
10万人に数人とか、5年生きるのは数%とか、そんな数字を聞いた気がするけれど。先の事はよくわからなかった。ただ涙がとまらなかった。毎晩泣いた。それから父はよく電話をかけてくるようになったが、私はそれを悟られぬようにするので精いっぱいだった。

何度か手術もした。
今まで年に2度しか帰省していなかった私も弟も、病室や近くのホテルに泊まり父の顔を何度も見に行った。
自宅療養が許されても診察のために100キロ近く離れた大きなその病院へ毎週通わなければいけなかった。日帰りするのはとても負担がかかる距離。高速バスを使ったり、母が運転したりすることも多かった。それだって私には不安ばかりだった。

とにかく真面目な父は、どんな状況であっても仕事に行くことがすべてだった。
自宅療養の間、母の送り迎えで会社に通った。主治医に驚かれることも多かった。それぐらいエネルギーに満ち満ちていたのだろう。趣味にだって夢中だった。

けれど、会うたびに父は変わってた。
刻一刻と悪化していることがわかった。得意だったパソコンも私が何度教えても覚えられなかったし、会話したことも忘れてしまうし、それまで普通にできていたことができない。文才でもあったのに、私にくれるメールだってあきらかにおかしかった。それが自分でもわかっている父。悲しそうな顔を見るのがつらかった。

社会人になってますます父からの電話やメールが増えた。
とにかく社会に貢献しなさい、人に感謝しなさい。何度も何度も聞き飽きた。父の気持ちを何度も無下にした。
帰省した私に、突然ギターを弾きだし聴かせたときもあった。私の結婚式で歌うんだって。

そんなとき、私は友人の結婚式に出席する機会があったけれど、心から祝福できなかった。私がここに立つとき、父はどうしているだろうか。居てくれるだろうか。
病気が発覚してからか、私に「結婚、結婚」と言うようになった父。それを思うとどうにも言葉にできない気持ち。涙がとまらなかった。厳格で、そんなこと言うような人じゃなかったのにな。

母が突然、父が学生時代を過ごした山形へ旅行したいと言った。
その頃車椅子になっていた父を連れて行動するのだって、母が長距離運転するのだって、本当に心配ばかりだったけれど、これが最後の家族旅行になるかもしれないと気づいていた母の気持ちは強かった。
父は自分で山形に行きたいと言ったことも忘れていたけれど。それでも意味があると私も弟も思った。奇跡を信じたところもあった。
私も東京から新幹線で向かい合流した。祖母には内緒で、4人で最後の旅行をした。楽しかった。

それからすぐ、入院した。
父の身体は自宅療養も限界を超えていただろうに、口に出さずに頑張っていたのかもしれない。できるだけそばに居たいという自分の我儘のせいだろうかと、母は自分を責めてた。何をしても後悔してしまう。
今度は遠い大きな病院ではない、近所の病院への入院だった。すべてが延命治療でしかないように思えた。

父は眠ることが多くなった。
それでも、いつ目をあけても大丈夫なように、ひとりで不安にさせないように、母は片時もそばを離れずにいた。
弟も何度か帰省し、父の顔を見に行った。
私は自分の予定ばかりを優先してた。

あるとき母が流した歌で父が目を覚ました時があった。以前、父がギターで聴かせてくれたあの曲だった。
目覚めた父と、電話で話した。それが父と話した最後だった。

ある夜、危篤状態と知らされ、夜行バスに飛び乗った。
朝方到着した頃にはどうにか持ち直し父に会えたが、眠ったままだった。眠っていても治療の痛みに涙を流していた。生きている、と思った。最後に顔見て話したのはいつだっけ。
看護士さんたちに私と弟のことをよく話していたらしかった。立派に働いているお姉ちゃんと大学院に合格したお兄ちゃんのことを嬉しそうに話していましたよ、と聞かされてまた涙がでた。無口な父だったのに。
けれど危篤状態であることは変わらず、それがいつになるのか主治医にもわからない。余命何日だなんて、映画のようにはいかないんだね。
学生の弟と違って会社を長く休むわけにはいけない私は、父の最期に会えないことも覚悟しなければならなかった。社会人としてそれは仕方のないこと。
眠る父から離れるのが本当につらかった。「後ろ髪ひかれるでしょう、私もずっとそうだった」と母が言った。

2日間仕事し、休日、改めて帰省した。
父に会えた。私や弟が居れば母にも少しは休む時間があった。
日曜日の朝、そうして父は深い眠りについた。母、私、弟、祖母、家族全員に看取られて、涙を流して眠って逝った。54歳だった。
退院させて必ず仕事に復帰させると誓っていた母は「治してあげられなくて、約束守れなくて、ごめんね」と父を抱きしめた。
家族全員揃ったのは決して偶然ではなく、父が頑張ってくれたおかげだと思う。

どじで泣き虫な母だから、泣き崩れてしまうだろうと私も弟も思っていた葬儀。
母は喪主としてしっかりと役目を果たした。今まででいちばん母の存在を偉大に思えた。
実は、眠る父の隣りで本を読んで勉強していたらしい。もちろん闘病している人の前でそんな本を広げるなんて…と思うけれど、そばを離れたくない母にはこうするしかなかっただろうし、私には想像できないほどつらく悲しい選択だったと思う。
父のために何をしてあげられるか、自分にできることは何か、この辛い状況にきちんと向き合っている姿そのものだと思った。それなのに、喪服すら用意できなかった私。
以前母が言った言葉を思い出す。「大切な人を亡くして悲劇のヒロインになるのは違う、人生をやり遂げられなかったその人の想いが可哀想で無念で、悔しいんだ」

結婚してすぐに自分の母親の病気が発覚し、私たちの世話でほとんど看病できないまま母親を亡くしたことにずっと十字架を背負っていた母。自分が不幸を連れてきたのかな、なんて口にしたときは悲しかった。
けれど出棺のとき、父に触れる最後のとき、「あなたと結婚してよかった」と父に静かに伝えていた。
私もあなたたちの娘であることを誇りに思う。強く生きたいと思う。

胸にいつの日にも輝くあなたがいるから。
涙枯れ果てても大切なあなたがいるから。

お父さん、今までありがとう。ゆっくりやすんでね。
花嫁姿も孫も見せられなかったよ…ごめんね。

もうすぐ父が他界して4ヶ月が立ちます。

昨日、私は25歳になり、弟は卒業式で学長褒賞をもらったよ。2人とも立派に育っているよ、ありがとう。
これからは私が家族を支えていきます。弟には母のことをしっかり守ってもらわないといけないね。

もし最後まで読んでくださった方がいたら、本当にありがとうございます。
こんな時にこんなしんみりした記事になってしまいましたが…こういう時だから、最期にひとつだけ。
親孝行、してね。
hydeもよく言っているように、できるうちにして欲しい。どうか後悔しないように。


そして、こんな私ですがこれからもよろしくお願いいたします…☆

コメント一覧

comment list

最後まで読ませてもらいました。

辛い事があったんだね…。文章を見て涙が出ました。お父さん昨日は六花ちゃんの誕生日を月になって大きく優しく照らしてくれてたんだね。

ラピニュの【あなた】hydeさんからのプレゼントだね!
こちらこそいつもありがとう!
これからもよろしくお願いします。

2011.03.20 09:10 URL | moco666hyde #- [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2011.03.20 19:26  | # [ 編集 ]

六花さんみたいに愛情深く、心根が美しい子が自分の娘でお父様は幸せだったでしょうね。とても素敵なご家族ですね。涙してしまいました。親って不思議なもので何でも気付いちゃうんですよね。六花さんのお父様への想いはぜ~んぶ伝わっていたでしょうね。きっと痛みと格闘しながらでも心は満たされて旅立ったのではないでしょうか。そして今の六花さんの頑張りもちゃんと見守ってくれてるでしょうね。あ~六花さんのお陰であたしも父のことを思い出しました。ありがとうございます。最後になりますがお誕生日おめでとうございます☆

2011.03.20 21:40 URL | tutu #- [ 編集 ]

最後まで読ませていただきました。
きっと何かがあったこと、きっと六花さんの中で落ち着いたら、いつかお話があるんだろうこと、すこーしだけですが感じていました。

素敵なお父様、そして素敵なご家族ですね。
(安っぽい言葉でゴメンナサイ…)
そして六花さん自身が本当に勁くて愛情深くて…尊敬します。
全てはお父様とお母様があってこその六花さんなのだと実感しました。

私の親は六花さんのご両親よりもちろん年上ですが幸せな事に健在で。
でもやはり年々、両親が老いていくのを実感している最近です。
普段好き勝手に遊びほうけていて親不孝な娘なので、その老いが見えるごとに残り時間で自分に何ができるだろうかと、焦ることも多々あります。(そして何よりの親孝行も何かはわかっている…。なかなかできる事ではないので心苦しい…。)
親孝行、しなきゃですね…。

最後に、改めて25歳のお誕生日おめでとうございました。
離れた所でも毎日懸命に立派に自立して働いている六花さん、きっとご両親の誇りだと思います(^^)
これからもよろしくお願いします☆

2011.03.21 15:37 URL | 涼 #frUh5rcM [ 編集 ]

>>moco666hydeさん
もこさん!いつもお世話になっております☆
お返事遅くなりましてすみません…!
いただいたこの暖かいコメントと、
「あなた」という曲の存在に救われたかもしれません。この曲の偉大さをようやくわかった気がします。
なんで今まで気づかなかったんだろう(笑)
もこさん、いつもツイッターで話しかけてくださって本当にありがとう。これからもどうぞよろしくお願いします。


>>こうやんさん
コメントありがとうございます。
お返事遅くなりましてすみません…。
そんな事おっしゃらないでくださいー!私、こうやんさんには本当に感謝しているんですよ。いつも楽しくお話させていただいて。
ハロウィンでいただいたハグも忘れません(!)笑。
これからもどうぞよろしくお願いします。
年下の私が言うのもなんですが…お互いにいい人生をいきましょう☆


>>tutuさん
いつもお世話になっております☆
お返事遅くなりましてすみません…!
tutuさんの暖かい言葉に私もたくさん涙してしまいました。いつも皆を気遣うtutuさんだから、お父様もきっと優しくて強い方なのでしょうね。
本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします…!


>>涼さん
お返事遅くなりましてすみません…!
あのとき…夜行バスの中で不安で苦しかったとき、涼さんにいただいたあのメッセージは忘れられません。
いつも優しい涼さんの言葉、ちっとも安っぽくなんてないですよ。心が暖かーくなります。尊敬しているのは私の方です☆
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします!
本当にありがとうございました。

2011.06.18 05:24 URL | 六花 #cdC3rpNc [ 編集 ]













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